EXOTIKA 2020

アロハ!

皆さんは1950年〜1960年代にハワイ〜カリフォルニアを拠点に世界へと拡がったTIKIミュージックを生んだエキゾティカ・ビッグスリー(Martin Denny, Arthur Lyman, Les Baxter)、そして戦前(1930年代後半〜)より活動を開始、テレビ番組出演のパイオニア、エキゾティカのルーツとされる第4の男 謎のインド人オルガンプレイヤー コーラ・パンディット(Korla Pandit)の存在をご存知でしょうか?

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“The Godfather of Exotica” Korla Pandit
PC Korla The Movie 🎥

“EXOTICA BIG 3”

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Martin Denny Group at The Tapa Room (Hilton Hawaiian Village)

Martin Denny
1970年代〜1980年代にかけて YMO(イエローマジックオーケストラ)やウォーターメロングループがカヴァーしたことで、日本のポップシーンでの人気が高く、YMOチルドレン、裏原系B-BOYによってフォローされ、”ファイヤークラッカー”をはじめとしたカバー曲が今なお取り上げられるエキゾティカ・キング、マーティン・デニー。YMOがテクノポップとして演奏したカヴァーは彼が亡くなる直前、2000年代初期のU.S. TOP 40においてもサンプリングされ、世界的なTIKIリヴァイヴァルと連動して、新たなフォロワーを生み出し続けている。

デニーはNYで生まれ、カリフォルニアの音楽学校で学んだ後、チャイニーズやバード・コールズ(鳥の鳴き声のモノマネ)で知られたヒスパニック系ハワイアンのセッションミュージシャンを雇って楽団として率い、オアフ島のヒルトンハワイアンビレッジのホテル内バーラウンジ、シェル・バーやタパ・ルームでエキゾティカやジャングル・ジャズをレギュラー演奏。同時にハワイ〜カリフォルニアのTIKIバーやラウンジで人気を博したアーティストだ。毎週金曜の夜にヒルトンで打ち上げられる花火を見ながら、エキゾティカの定番 ”ファイヤークラッカー”を聞けば、あなたは間違いなくハワイ・トリップの印象が変わるはずだ。

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Arthur Lyman Group at The Shell Bar (Hilton Hawaiian Village)

Arthur Lyman
かつてヒルトンハワイアンビレッジのカリア・タワー エリア内に存在したアメリカを代表する多面体ドームのパイオニアとして知られる建築実業家 ヘンリー J.カイザー(ハワイアンビレッジの前オーナー)が設計・建設したアルミニウムジオデシックドーム。※同時期に多面体ドームで特許を取得した発明家バックミンスター・フラーのスタイルから、一般的にはフラードームとも呼ばれる。

マーティン・デニー・グループを離れた後、日系シンガーやプレイヤーを雇い、そのアルミニウムドームでアイランドジャズを演奏し、アルバムのレコーディング(!)まで行っていたのはエキゾチカ・ビッグ3の中でも唯一ハワイ生まれのマルチプレイヤー・ビブラフォン奏者 アーサー・ライマン。リリースされたアルバムは当時最新技術であったHi-Fiステレオエフェクトが駆使され、3Dエキゾティカ・ラウンジミュージックとも呼ばれた。その当時の雰囲気は、映画「ハワイの若大将」のワンシーンでも確認することができるはずだ。日本でも70年代のザ・ドリフターズのTVバラエティ「8時だョ!全員集合!」のカトちゃん登場テーマとして知られる(ちょっとだけよ..)”タブー”は、彼の最もよく知られたエキゾチカ・アレンジ曲とされている。(Tabooはキューバの作曲家 マルガリータ・レクオーナのペンによるもの)

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Kaiser Aluminum Dome (Hilton Hawaiian Village) | PC Wenkam photo | tikiroom.com | American Wind

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THE EXOTIC SOUNDS OF Arthur Lyman AND HIS GROUP | PC tikiroom.com

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Hawaiian Village Hotel Map 1959 | PC Kamaaina56 Flickr

Les Baxter
彼らが演奏するエキゾチカ・ヒットを作曲、また 巧みなアレンジで過去のアフロキューバン佳曲をエキゾチカカバーしたことで知られるのはテキサス生まれ、主にメインランドで活躍したコンポーザー・アレンジャーの鬼才 レス・バクスター。デトロイトでピアノを学んだ彼は、コンセプトアルバムの名作を連発し、オーケストラを率いてエキゾティカ、TIKIミュージックの確立を成し遂げ、カリフォルニアのニューポートビーチでその生涯を終えた。彼の”Quiet Village”は、マーティン・デニーが世界中で大ヒットさせたエキゾティカの名曲として、現在でも語り継がれている。

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LES BAXTER AND HIS ORCHESTRA “Ritual of the Savage” Reissue
PC: WaxTime

“The Godfather of Exotica” Unversal Language of Music

Korla Pandit
上記でご紹介したエキゾチカビッグ3が多大な影響を受けたとされるのは、The Godfather of Exoticaとして知る人ぞ知るコンポーザー、ピアノ・ハモンドオルガン奏者、Korla Pandit(コーラ・パンディット)エキゾティカ界のサン・ラとして知られているとかいないとか。

ミズーリ州生まれのアフリカ系アメリカ人(ライトスキン:肌の薄い黒人)であった彼は、1930年代後半、L.A.へ移住したのち、ニューデリー生まれのインド人と名乗り、生涯を通じて活動したー

第二次世界大戦後はハリウッドテレビ番組にオルガンの生演奏で出演。初期テレビ放送のパイオニアとして一躍時の人に。当時は米国の人種差別問題もあり、移住当初はメキシコ人と偽り、その後 白人女性とメキシコで結婚(黒人はカリフォルニア州内での結婚が禁じられていたため)、家族の勧めから”インド人”となって音楽業界への潜伏に成功。

主にドゥーワップなどの黒人音楽をリリースしていたインディペンデントレコードプレス工場兼、レーベル Vitaで1950年から作品のリリースを開始したコーラ。その後、自らのインディペンデントレーベル Indiaを1954年に立ち上げる。その後、SFベイエリアのレーベル Fantasyからも作品はリリースされた。生涯、自身のアイデンティティを偽り、インド人として半生を通した彼は1998年の彼の死後に黒人であったことが明らかにされた。

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VITA RECORDS | Korla Pandit album advertisement

Korla_Bronze statue

ミズーリ州でライトスキンの黒人として産まれ育ったジョン・レッド。1930年代終わりにハリウッドに移り住み、名前をコーラ・パンディットと変え、インドから来たミュージシャンとして、TV番組で人気者となった。その半生を追うドキュメンタリー Korla : コーラ (2015)
日本語版上映、正規盤リリースが待たれる。